原爆の日。

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今日、8月6日は原爆の日、そして平和祈念式典があった。

そして63年前の今日、オイラの祖母は爆心地から4kmの所で被爆した。

当時二十歳、事務員として勤めに出ていた祖母は、建物の窓から一番遠い所にいたために助かった。

それでも、隣の席に座っていた人は助からなかったらしい。

映像や写真でしか見たことないような、キノコ雲、一面の焼け野原、火傷のために水を求めてさまよう人や、川に飛び込む人々。

祖母はその全てを目の当たりにし、鮮明に記憶している。

原爆の語り部の人達が、次世代の人達にその悲惨さを語り継いでいるが、

オイラの祖母は、ほとんど原爆の悲惨さ凄絶さを、オイラに語ってくれたことがない。

祖母の娘でもある、お袋も、「そういえば、あんまり原爆の話を聞いたことがないなぁ」と。

問えば、「大変だったんだよ」くらいの事は話してくれるが。

語ろうとしないのか、語りたくないのかはオイラにはわからない。

その、原爆の現場に居合わせた本人にしかわからない事や、思いがあるのだろう。

戦争真っただ中で青春を過ごし、原爆で何もかもを失い、焦土の中で結婚をし、3人の子供をもうけ、決して裕福ではなかった生活の中で、伴侶を亡くし、

それでも子供たちを大学に行かせ、それぞれ社会に送り出した祖母。

祖母の過ごしてきた、人生の厚みと重みには、オイラは一生を賭しても越えることは出来ないと思っている。

広島の祖母がいう、「平和が一番いい」は凄まじく重い響きがある。
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by ikeda-eng | 2008-08-06 21:18 | クライマーズ・ライフ
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